釜石商工会議所の沿革

◎商工会議所の生い立ち

 ヨーロッパでは中世紀(約500年~200年前)の頃から、職業は神様が自分に与えてくださった尊い立派なもので、公正な方法でお金をもうけることは神の 思召しにかなうことであるという思想と誇りをもっていました。これらの人々は信用と誠実を最も大切にして、自分の一生一代を神に仕え、民衆に仕えるという 信念で仕事に励みました。
そのうえ、これらの人々は組合をつくって都市の政治を正しいものに導き、自分たちの商売の繁栄を図りました。歴史的にはこの組合を「ギルド」と呼び、これが後の商工会議所の母体だといわれています。
世界最初の商工会議所は、1599年フランスのマルセイユに誕生しました(わが国では、翌年の1600年に天下分け目の「関ヶ原の役」がありました)が、それ以来、ヨーロッパ大陸諸国には、フランスに範をとった商工会議所が続々設立されました。他方、イギリスやアメリカにもヨーロッパ大陸諸国とは別に、商工会議所制度は独自の発展を遂げています。

◎日本で最初の商工会議所

 日本に商工会議所が設けられたのは明治11年で、東京は渋沢栄一、大阪は五代友厚、神戸は神田兵右衛門という実業界の一流の人々が主唱してつくりました。その陰には、こんな話があったのです。

◎釜石商工会議所の沿革

◇戦前の釜石商工会議所

 大正13年3月20日に「釜石商工会」が結成されました。当時、釜石は、新興産業都市として、製鉄所及び関連産業の発展、漁業基地としての繁栄、第三次産 業の勃興など鉄都釜石として、また、三陸沿岸における漁業の中心基地としての地位を確立した時代でありましたが、大正7年第一次世界大戦の終結により、鉄 工業界が、不況の波にゆれ動かされることとなり、地域の経済に大きな影響をあたえ、商工業界は、一時苦難の道をたどったのでした。こうしたさなかに釜石商 工会が創立、その意義は極めて大きいものでした。

 昭和16年12月26日には、「釜石商工会」を「釜石商工会議所」と改称しました。

 昭和18年5月、只越町に事務所を新築しました。

 昭和18年9月12日、第二次世界大戦の激化に伴う戦時措置として、岩手県商工経済会の発足と同時にこれに統合され、釜石商工会議所は解散しました。

◇戦後の釜石商工会議所

 昭和22年2月15日、統制経済が解除されて岩手県商工経済会が解散となり、「社団法人釜石商工会議所」が発足、事務所を岩手殖産銀行釜石支店2階に置き、自由経済への第一歩をしるしました。

 昭和23年6月、釜石会社団を中心に、木造平屋建ての商工会館を只越町に建設、昭和25年10月25日には釜石線開通を記念して事務所を木造モルタル一部二階建に改築しました。

 昭和29年12月3日、商工会議所法の施行により、商工会議所に組織を改めました。

 昭和55年2月には「釜石商工会議所婦人会(現在の女性会)」が、昭和60年3月には「釜石商工会議所青年部」が設立されました。

 昭和57年1月には、現在の商工会議所会館が落成、現在に至っております。

kamacci_gaiyo_enkaku1 【昭和18年】
釜石で行われた東北六県商工会議所連合会総会時の記念写真

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旧会館内で行われた「臨時議員総会」の様子

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【昭和52年】
創立30周年記念式典の様子

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【昭和57年】
現在の商工会議所会館落成時の外観。
落成式典には、当時の永野日商会頭が来釜されました。


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